長○川亮○を超えた自分語り

俺学という名の究極の自分語り、履修者0人

俺、1998年2月8日に4080gという肥満体型で生まれる。その後幼稚園に年中から入園するが、母親の甘々な教育により心優しいガキに育つ、この時期までは先生に褒められてたり、周囲が女子のパンツを覗き見する遊びが流行っている中不動で腕を組んでいた(本当ですか?)この時既にポケモン廃人手前だった。

小学校に入り普通に過ごす。しかし高学年のクラス替えで仲の良い奴らが全員他クラスに集中し孤立するも持ち直す。だが入ったクラスがマセガキの巣窟で小学5年にして女性器の名称を慟哭したり公園の倉庫下に捨ててあるエロ本などを物色する魑魅魍魎が集結していた。

何故かは忘れたが6年に上がるとクラスが2つの派閥に分かれ、卒業まで対立派閥の人間と口を利かないという暗黙の了解があった。しかし俺はそれを破り、違う派閥の連中と遊んでいた所を見つかり、結果的に俺が裏切った形になってしまった。最後まで一緒に遊んでいた連中は学区の関係で全員別の中学に進学、俺は小学校全体の2割程しか進学しない公立中学へ。しかしここからが地獄の始まりだった。

 


この中学校に進学する6割を占める某小学校は近隣住民からの非難が多く、荒れていた。俺は早速その小学校のリーダー格の1人と同じクラスになり、辛酸を舐めさせられた。しかも同じ部活に入る。

今思うと野球部とかいう蛮族の集まりで我の強い獣物集団に2年半属せたのも、自分が小心者だったからに違いない。1日休むだけで部員からゲキが飛ぶような部活だったからである。

休みは月曜しかなく(自主練という名の強制練習)土日は試合相手の学校まで走らされ、朝練の前にはタッパに詰め込まれた飯を食わされ、授業中には下半身強化の為に太腿の間にノートを挟まされ(サボってた)、毎週野球ノートたるものの提出を余儀なくされ、夏休みはお盆以外に1日休みが無かった。これをこなしてレギュラーになれるならまだ良かったのかもしれないが、俺が公式戦に出場した試合数は2試合程しかない、最後の大会はベンチにも入れなかった。何故部を辞めなかったのか、それは前述した通りである。しかし今考えるとなんの生産性も無い無駄な時間である。クソの掃き溜め。なんでベンチにすら入れなかったかというと、同学年の部員が25人くらいいたのと、意識高い系の顧問の裁量で一つ下の学年にいた上手い奴をベンチ入りさせたから、あとは俺が根暗で下手くそで何の取り柄もない消しカスみたいな奴だったから。ちなみに同市内の中学校からは全国大会に行ける実力があると持て囃されていたが県大会2回戦負けで散った。もっと早く終わって欲しかった。

学業の方も勿論駄目で、いつもワースト40には入っていた(250人中)

数学はアベレージ15点くらいだった。本当に。

そして学力は上がる事なく高校も県内最底辺の所に行き今に至る。

クラスでは不良に虐められ糞女共に騙され遊ばれロクなことが無かった。肩が上がらなくなる程殴られた結果教師も交え話し合いになったが喧嘩両成敗になった。何が両成敗なのか全く分からない。成人式後に郵送されてきたその教師からの手紙は読まずに捨てた。

俺が中学2年生の頃に弟が不登校になった。母親が仕事を辞めた。父親は定職就いてない。

本当に中学3年の頃はこの世の全てを憎んだ。教室でヘラヘラ笑ってる奴ら、勤勉そうなフリをしている腹黒教師共、まともな教育をする脳がない親、虐められてもない癖に無気力さから不登校になる発達寸前の弟

お気付きかと思うが、自分がこれまでの人生において成功したと思える事柄が一つもない。本当の本当に一つもない。こんな人生で自分に自信が持てる筈がない、そんな奴がいたとしても頭のネジが飛んでいるに違いない。ただ事実を述べてるだけなのに「病んでる」の一言で片付けられていたあの日常を、まだ悍ましく思っている。一度きりの学生生活を楽しむ、キラキラの大学生活、メディアが流布した虚構。一度きりの人生、全て運。一億総活躍、全員活躍したら土台になる底辺が消える。そもそも人間って生きる価値あるか?価値を見出せなくて当然。金があれば働かない。世間体。気晴らしの性行為。無駄になる精子、分身作り、子孫繁栄、生存戦略、虐待、ネグレクト、養子、父親の分からない子供を産む風俗嬢、流産、浮気、帝王切開、泥水を飲むアフリカ人、we are the world、世界は素晴らしい、幸福に生きよ、ポア、ダーキニー、救世主様、フェミニストの思考回路、核爆弾、ケロイド、非核三原則、平和な社会、言論統制、放送倫理機構、深層ウェブ

 

 

 

 


酒飲んで寝てたら思い出したくもない出来事が沢山夢に出てきたからブログに書いちゃったあ…